22(に~に)のブログ

日常を書きたい。書くことはない。思ったことを徒然と書いていきます。

「小中高校・大学の教育」という私の価値観。

 今日は久しぶりに2連投稿です。

自分のやる気を出すための考え方を書こうかな。忘れないうちに。

 

 

 さっきお風呂で考えたんだけど、勉強ってのは、あくまでも武器の1つだと思うんだよね。勉強っていう武器を、どうやって使いこなすか。それを教えるのが、「教育」だと考えた。

 

 で、大事だから先に言っとくけど、

勉強は武器の1つであって、勉強を自分の武器にしなくてもいい

 ってこと。

 多くの大人達は間違ってるんだけど、勉強できれば最強ってわけじゃない。

 つまり、勉強っていう武器を使いこなせても、最強とは呼べないってこと。

 

 このことを忘れたらいけない。

 勉強以外にも、スポーツっていう武器もある。モノ作りっていう武器もある。

 

 そして、それらの武器を学ぶために、扱うために、小さい頃から「教育」というものを施す。我が国では。

 

 本題はこっからなんだけど、義務教育期間、つまり小中学校では、まず、〈武器の種類〉を学ばないといけない。そして、そもそも「武器とは何か」を教える必要がある。

 

       順序としては、

◯ まず、小学校では「武器とは何か」を学ぶ。

◯ 次に、中学校で、「武器の種類」を学ぶ。

◯ そして、高校では「自分の武器」を探す。

◯ 最後に、大学で、「武器の扱い方」を学ぶ。

✕ そして、軍隊で活躍する。

◯ そうやって、大人になり、自分の武器で自分の道を切り開いていく。

        こんな感じ。

 

 だけど、最初に言ったけど「武器」ってのは、勉強だけじゃないし、勉強の中にも、多くの種類・分類があるわけだ。

 

 たとえば、「剣」って言っても、日本刀・サーベル・カトラス・ナイフ・ククリ・石器・ソードetc…とか(変なのとか名称も混じってるけど)、色々ある。

 勉強って言っても、国語・数学・社会・理科・英語とか、色々あるじゃない。

 

 小中学校とか、高校とかの教育って、決して武器を押し付けるものじゃないはず。

 

 僕が言いたいのは、別に全員が東大・京大を目指す必要はないんじゃないかってこと。

 そして、武器を1つに絞るってことは、それだけ戦略の幅が狭くなるってこと。戦略が少ないのに、勝てるわけないじゃない。対策も練れやしない。

 

 もっかい言っとく。

 「勉強」っていう1つの武器、1つの戦略だけでは、最強とは呼べない

 そして、

 押し付けられた武器なんか、上手く扱えやしないってこと。

勉強だけの、たった1つの武器しかない国なんて、いずれ滅びる。

 

 よし。ちょっと元気が出てきた。今日はこれでいいや(笑)

 

 たとえ自分の武器を見つけても、最初から扱えるものじゃないかもね。(#・∀・)

 好きな「武器」を磨くほど、熟練度ってのは上がるものなんだよ( ・`д・´)

無意味な会議。

22(に~に)です。かなり久しぶりです。

 最近すこし疲れ気味で。新年が始まるって、ワクワク・ドキドキの前に必ずドタバタがあるよね。ドタバタしてる時は楽しいんだけど、一段落ついたら疲れちゃうんだよね(笑)

 

 

 さて、今回は「会議」について。

 

 最近ではミーティングって言うことが多いけども。

 会議時間が長くて、終わった後、釈然としない時ってあるよね?疲労感だけ残って、アイデアが生まれないとき。

 

 緊張してるときって、アイデアは生まれにくいんだよね。例えば。上司のいるミーティングとか。頭の中が「緊張」でいっぱいになってて、良いアイデアの邪魔をしてるわけ。

 

 良いアイデアが出ないミーティングほど、無意味なものは無い。

上司のいる緊張感も相まって、余計に疲労感だけが残る・・・。

 

 

 ミーティングってのは、良いアイデアをぶつける、又は、良いアイデアを生み出す場所なんだよね。だけど、そういう時ほどアイデアが生まれない。

 そして、帰り道にふと、良いアイデアが思い浮かぶ。

 

 それが、「アイデア」であり、「発想」ってやつ。狭い部屋の中で、上司の顔色を伺うことが、ミーティングではないってこと。

 

 

 多くの会社に聞きたいんだけど、ミーティングした次の日って、もう一度ミーティングするのかな?・・・たぶん、しないだろう。

 ミーティングの期間を2日取ってごらん。アイデアがどんどん出てくるから。

 一日目は、15分程度でいい。

 二日目は、30分程度でいい。

 

 緊張が解けた瞬間に、頭の中がアイデア製造工場になる。

 「閃き」は、「緊張」が天敵なのだ。

 

 閃きの無い会社は、薄暗く、ぼんやりしていることだろう。

 

 

 無意味な会議をやめることで、時間の節約ができ、アイデアの溢れる会社になる。

 そういった会社と、考え方を持つ人間が、増えることを望む。

 

 「必要な無駄」はある。けれど、「無意味」なものは、必要ではない。(#・∀・)

話の整合性と着地点について。

 22(に~に)です。今日は、お風呂に入りながら考えたことを書きます。

 

 話をしてるときに、「あれ?この人は何を言いたいんだろう?」って思うことが、最近よくある。

 特に、目上の人が怒っている時、最初は仕事のミスを怒っていたのに、途中から性格の話に飛んだりする。やれお前はぐーたらだ、とかお前の育ちは云々とか。

 

 そりゃ、第一にミスしたのが悪い。それは間違いない。

だけど、性格の話とかになったら、自分じゃどうすることも出来ない。だから、「何が言いたいのかな?」ってなる。最終的に、そんなに性格が嫌いなら、仕事を辞めさせればいいのに、って考えることもある。

 

 だってさ、考えてごらん?「なんで仕事覚えられないの!」って言われてもさ、「覚えたくても覚えられないからです」って言うしかないじゃん。やる気があっても忘れることはあるし、やる気があれば何でもできるってわけでもない。

 

 何というかな、偏見だけど昔の人って、「やる気で何とかなる!」って考え方を持ってる人多いじゃん。何度も言うけど、やる気=技術力 ではない。

 

 で、話を戻すけど。

仕事のミスを怒っていたのに、性格を怒る話になるってのは、全く整合性がない。

そんでもって、話が上手く着地できないから、「まあ頑張れよ」ってなる。

 

 頑張ってたけど出来なかったから、アンタは怒ってるんだろうが!!

 

 なんかさ、「まあ頑張れよ」で締めくくるんならさ、要らないじゃん。まだ、「次は失敗すんなよ」ならわかるけどさ、それはそれで本人が一番気をつけるだろうし。

 

 もう本当に生産性が無いよね。(断言)

 

 組織や集団や個人が発展するために怒るなら分かるんだけどさ、過去の経験語るために怒るのは違うじゃん。

 生産性がない話ってつまんないんだよね。次に繋がらないし。

 

 ここまで書いて、大人から反論が来そうだから言うけど。

「ハッパをかけるために、喝入れたんや!」「頑張ってもらいたいから、怒るんや!」っていう人いるけど、詭弁だね。それか、本当に現場主義の人だろうね。

 あのね、何度も何度も言うけど、そういうの古い。僕は好きじゃない。

 

 経験でしか分からないことがある。その経験ってのは、失敗して生まれるもんでしょ?それを一々怒ってごらん?どれだけ時間を浪費してるのさ。

 

 エジソンアインシュタインか、誰か忘れたけど、彼らの失敗に一々誰かが怒ってたら、今の科学技術は今だに存在してなかったかもしれない。

 

 

 僕は正直、ぬるい世界で生きていたい。そして、こういう考えの若い世代って多いと思う。なんでだと思う?

 それはね、現代には、「昔の人」が多すぎるから。僕らが何もしなくても、「昔の人」たちが汗水流して、やる気を出して、支えてくれてるから。

 

 僕は決して、「昔の人」を褒めてるわけじゃない。尊敬もしてない。

あのさ、そろそろ、世代交代してもらっても、いいですかね?

あなたたちがいるから、我々若い世代は、働きたくないでござるよ。

そもそも、働こうと思わないでござるよ。だって、寝てても何でも揃うんだもの。

 

 「昔の人」の技術力は、確かに今の日本を支えている。だけどその一方で、「昔の人」の考え方ってのが、若い世代のニーズに合っていなくて、阻害している。

 今では十分、モノが溢れていて、好きなモノを自分で手に入れることが出来るのに、「人のために働け!」なんて考え方は、古いんだよ。

 

 話ズレるけど、結局「みんなのために!」って考え方が、「みんな一緒に!」ってなってると思うんだよね。就活とか就活とか就活とか。

 

 そろそろ、引導渡してください。お願いしますm(_ _)m

 

 

ほら。ちゃんと着地したでしょ!? 

実体験から入って、それの反論になって、社会批判になる!

 

 この話の流れが、「整合性」。そして、「引導を渡せ」っていうのが、着地点。

性格直せ!っていうのは難しいけど、引導はすぐ渡せるでしょ?(笑)

 

 まあ、整合性については、簡単に説明しすぎた感は否めない。

とりあえずこんなことを考えました。

 ダメだ、今日は眠い。寝よう。おやすみ~(#・∀・)

バカで良かった。

 

  色んなブログを見て、ふと思ったことがある。

 

 バカで良かった。

 

 もし、22(に~に)が賢かったら、その賢さだけで生きていかねばならなかった。

 

 バカで良かった。

 

 現代は、賢い奴が上に登れる。高学歴の奴は、少なからず高月給である。

だけど、賢さが認められなければ、上に登ることはできない。

 

 バカだからこそ、賢い人生を 今 諦められた。

 現代を生きる上で、賢いというステータスは、賢さ以外のステータスを、ドブに投げ捨てるようなものではないのか。

 

 賢くない ということは、賢さに頼らずに生きていける ということだ。

賢くない と分かっているから、そもそも賢さで闘おう とは思わなくなった。

 

 バカで良かった。

 

 バカじゃないと、こんな文章なんて、書けない。

 

 ああ、バカでよかった。

 

 賢い奴に、こんな文章は書けない。あれ? 俺いま、賢い奴より、賢いんじゃね?

 

 

 賢いって、こういうこと。ああ、バカで良かった。(#・∀・)

コンビニエンスストア。

22(に~に)です。なんでだろう?最近コンビニ関連の記事が多い・・・

 近くのコンビニにIKEMENなお兄さんと、美人な女子大生がいるからか。納得。

 

 さて、前置きなんてどうでもいいくらい真面目な話をします。

で、最初に言っとくけど、決してバカにしてるわけじゃない。見下してるわけじゃない。それだけは、ご理解のほど、ご了承くださいますよう、お願い申し上げます。

 

 コンビニエンスストアってさ、まあ「便利な店」って意味じゃん?

 で、便利だし気軽に行けるのが、コンビニの良いところなんだよね。

アレとかコレとかソレとか、大抵のものはコンビニで揃う。

 でも、だからこそ、何というか下層の人が集まる。

(何度も言うけど、見下してるわけじゃない。)

 

 便利すぎるが故に、「お店」っていう概念が吹き飛んでる気がするんだよね。

 

 手軽、気軽、便利、早い・・・などなど。コンビニに求められてるものは、要するに、「如何に早く、目的の商品を手に入れられるか」に尽きると思う。

 

 もちろん、それが社会のニーズだし、それらのニーズあってのコンビニなんだけど、「早さ・手軽さ」の代償に「お店としての型」を失ってしまったように感じる。

 

 

 お店ってさ、例えば、インテリアとかファッションとか、お土産物屋とかあるけど、商品をじっくり見て、どれが欲しいか、予算に見合うか、とか色々考えるじゃん?決して、時間のないときにじっくり悩まないでしょ?てか、時間がないときはお店にすら入らないでしょ?

 

 じゃあ、コンビニはどう?そりゃ、店内でブラブラすることはあるよ?だけど、コンビニなら時間がないときでも入れるでしょ?というか、他の飲食店だと時間がないから、コンビニに入るんでしょ?

 

 違いはそこなんだよね。忙しいから入らないのか、忙しいからこそ入るのか。

 

 で、忙しい人って、基本的に働いてる人なんだよね。で、コンビニのご飯で済ませる人って、基本的に高くはない給料なんだよね。

(何度も言うけど、バカにしてるわけじゃない。見下してもいない。)

 

 給料が高い人って、基本的にご飯はしっかりしたものを摂る。そして時間にも余裕がある。(どっかのデータにあったはず。リンク忘れた。ごめん。)まあ、当然と言えば当然だけど。

 

 でね、社会批判したいわけじゃなくて。こういうことから、コンビニってセカセカしてる人が多いわけだ。時間の無いときに、余裕のある振る舞いなんて、そりゃあ出来ないわな。

 

 だからこそ、コンビニは客層の質が低い。三ツ星レストランに、ジャージで入りますか?って話。

 だって、お店の概念が無いんだもの。「お金置いて商品だけ貰えれば、他のサービスなんていらない。」そう考えてる人って多い気がする。

 

 

 コンビニエンスストアは、すごく画期的なアイデアだと思うけど、決して無人販売所ではない。「気軽に・手軽に・便利に」商品を手に入れられるけども、人間が運営してることを忘れたらいけないと思うんだよね。

 正直、コンビニで気の荒い人を見るけど、よくそれで仕事が出来るなって思う。あんまり、そういう人好きじゃないんだよね。

 

 とまあ、色々勝手なことを書きましたけども、22(に~に)も頻繁にコンビニを利用してます。だけど、絶対に余裕のある人間でいたいな、とは思ってます。

 コンビニであっても、店員に愛想良く出来ない人が、他で愛想良く出来るのかが、すっごい不思議。。

 

 この記事は賛否両論、「そんなこと言ってもどうしようもないわ!」って意見もあると思うけど、22(に~に)はそう思うってだけです。また、相応しくない表現も多々ありますが、22(に~に)個人の感想として受け取ってもらいたいと思っています。

 不愉快に思われたかもしれませんが、ご了承くださいますよう、重ね重ねお願い致します。

「理解」・「分かる」と「忘却」・「覚える」について。言葉の認識。

 22(に~に)です。今日は「分かる」「覚える」について、考えてみよう。

 

 「はい!分かりました!」って言葉は、よく使うと思う。

誰かに何かを頼まれたり、何かを教えられたり、お客様の要望を聞いたり・・・

 色んなシチュエーションが考えられるけど、皆はあまり意識していないと思う。

 

 で、分かる・理解するというのは、つまり、相手の情報に ”その場で納得した” ということである。

 

 

 僕が言いたいのはね、その場ってのはどこまで続くのかって話。

つまり、「分かった」と言ったら、今後「覚えました」「忘れません」っていうことと同意義なのだろうか、ということ。

 

 

 22(に~に)は理解力と記憶力が無いからさ、その場では納得できても、次の日には忘れちゃうんだよね。(ノ∀`)タハー

 だから、その日に「分かりました!」って言うじゃん?次の日に「昨日分かったって言ったじゃん!」って怒られるんだよね(笑) いや笑い事じゃねえよ!

 

 

 ま、そういうことがあったから、今回の記事にしてるんだけど。

でもさ、22(に~に)が思うのは、「分かる」・「理解する」っていうのと、「覚える」・「身に付ける」っていうのとは、根本的に違うんじゃないか、と思うんだよね。

 さっきも言ったけど、僕は、「分かる」ってのは、「その場で納得する」っていう認識なんだよね。そこに、「覚える」っていうプロセスは含まれていない。

 

 

 まあ、22(に~に)が覚えればいいだけ!って思う人もいると思う。それで話は終わりだろ?って思う人もいるかもしれない。

 これはつまり、「分かる」と「覚える」は同じだ!って言ってるんだよね?

 

 それじゃあ、今度は視点を変えて考えてみようと思う。

 

 そもそも、「分かる」ってのは、分かろうとしなければ分からないよね?

理解しようとしなければ、理解できない。 ・・・分かるかな?

 読書だって、文字を追っかけるだけでは、ストーリーは分からないでしょ?そんな感じ。

 

 次に、「覚える」ってのも、覚えようとしないと、覚えられない。

ここまでの点では、「分かる」ってのと、同じプロセスだ。

 

 

 だけど、「覚える」ってのは、「分かる」っていう次のプロセスだろう?

 

順番的には、『 分かろうとする→「分かる」→覚えようとする⇛「覚える」 』

 

 って感じだよね?

何が言いたいかっていうと、「分かりました!」っていう段階では、「その場で納得した」だけであって、「明日になっても忘れません!」って意味ではない、ってこと。

 ここまで書いて、「結局、最初から「覚えよう」とすれば解決だね!☆」とか思っちゃったよ。どうすんの、コレ。

 

 まあともかく、「分かる」ってのと、「覚える」ってのは違うんだよ、ってことが言いたいんだよ。言葉遊びみたいな感じで、へ理屈っぽい感じだけど、日本人だしさ?母国語だしさ?日本語のことぐらい考えないと・・・ねぇ?

 

 でも、なんか、こういった些細なことが理解出来てる人ってなかなかいないんだよね。多くの人が全部一緒にしちゃって、気持ち悪いんだよね。感覚的に。

 些細なことなんだけど、意味合いが変わってくるからなぁ・・・

 

 今日はこういうことを考えました。(小並感) はい、終わりっ!

 

グローバル化する日本・・・日本語の勉強よりも英語の勉強が勧められる時代・・・

遠い将来に日本語は存在するのだろうか・・・。(#・∀・)

 

 

絶対に “失敗“ しない!人気ブロガーも気をつけている、たった1つの方法。

 あ、タイトルは冗談です。(真顔)

 

 失敗しないブログの方法てなんやねん。

 逆に失敗したブログってどんなんやねん。

 

 タイトルから意味不明ですがな (ノ∀`)タハーヤッチマッタ 

先に言っとくけど、嘘ついたら失敗します。この記事のように。

 これが、失敗しないたった1つの方法です。

 

 

 こういう話がしたいわけじゃなくて。はい、本題。

 

        「考え方を変える。成功の法則」

 多いですよね、「たった1つの方法」ってやつ。絶対そんなことはない。

 

 でもやっぱり見ちゃうんですよね。タイトルに「成功のための、たった一つの方法!」とか書かれてたら。「嘘だよ~」とか言いながら手にとってみる。・・・私のことです。

 

 でね、「たった一つ」とか言いながら、たいていは6個くらいのプロセスがあるんだよね。さらに細かく5個のプロセスがあって・・・とか、本を最後まで読む気力も失せてくる。

 

 結局、本とか記事とかって、タイトルが勝負じゃない。手にとってもらえるかどうかって話でしょ?だから、タイトル詐欺みたいなことをするんだけど・・・

 

 

 ここから分かるのは、人間がいかに、楽して成功したいのかってこと。

 そりゃー楽な方がいいよ。辛いことなんかしたくないよね。(だからこそ、ハウツー本ってやつが売れるんだろうけど。)

 

だけどさ、今やってることが辛いのに、これから楽になることはないと思うんだよね。

 

 22(に~に)は色んな本を読むんだけど、絶対に「私はこれで成功しました!」って本は見ない。昔流行った、「東大生の勉強法!」みたいなのもあったけど、絶対に見ない。

 

 だって、そのやり方はその人のものだし、公開されてる時点で、すでに古いやり方・古い情報なんだよね。人のやり方を真似して、成功するわけないじゃん。すでに成功者がいるんだから。専売特許は取られてるんだから。

 

 

 何が言いたいのかっていうと、自分のやり方を見つけるのが、一番の近道じゃないの?ってこと。他人のやり方を参考にするのは良いことだけど、真似はダメ。二番煎じもダメ。

 

 だけど、その成功者たちが「何を考えてたのか」ってことを考えるのは大事。

そもそも、成功者って仕事を嫌々やってたわけじゃないんだよね。むしろ、仕事大好き!みたいな感じなんだよね。

 

 そりゃそうだ。嫌いなもので一番取ることほど、難しいことはない。

だから、好きになるしかない。何を?仕事を。やってることを。

 

 嫌いなまま作業なり、仕事なりするからダメなの。好きにならなきゃ。これは絶対。だから、思考を変えることが大事。考え方を変えないと。

 

 もし、「仕事なんて好きになれねーよ!」って思ったなら、今の仕事は向いてない。今すぐ辞めた方がいい。辞めて、好きになれる仕事を探した方がいい。

 もちろん、成功したいのであれば、の話だが。

 

 好きこそものの上手なれ。好きだからこそ、続けられるし上を目指したくなる。

嫌いなことを好きになるのは難しいけど、好きか嫌いかは自分で判断出来るだろう?

 

タイトル詐欺になってごめんね。まあ、ブログなんて成功するもしないもないからね。一回書いてみたかったんだ(笑) はい、スンマセンm(_ _)m

 

「好きなことをやりなさい」ってばっちゃが言ってた。(#・∀・)