日本人の課題。 「優しい」 と 「空気を読む」 とは。
自転車で20~30分くらいのところにある本屋に行って、色んな本を立ち読みしてきたよ。
その中の一冊に、「空気をよむこと」について書かれた本があった。
流行ったね、KY。(KY=空気読めない)
で、日本には空気を読む文化がある。相手の気持ちを汲み取ろうとすることだね。
それ自体は何も問題ないんだけど、最近は何か別物のように扱われている気がしてならない。
「空気を読む」って、その場にいる人たちにプラスになる時だけじゃないだろうか?
例えば、クラス皆でAくんをいじめている。その中で、Bさんがいじめに加わらなかったら、BさんはKYになる。でもこれは、間違った使い方だろう?
さて、これらを踏まえて本題。
「優しい」とはなんだろう?
「空気を読める」ことが「優しい」だろうか?
違うね。上の例のように、Bさんは決してKYではない。
それと、「優しい」には色んな定義がある。その中でも、ここでは「優しい」と「空気を読む」ことについて考えていきたいと思う。
日本人は、空気を読みすぎている。周りに合わせ、主張せず、一人で前へ出ない。
今の教育や就活など、この「空気を読む」ことは日本の文化に浸透してしまっている。
空気を読むとは、「適度な距離を保つ」ということだ。
だが、今の日本は必要以上に距離を取っている。つまり、一歩前に出ない=関わらないこと、が正しい世の中になっている。
これからの若者は特に、優しいことは良いことだが、決して空気を読まないでもらいたい。周りと同じで面白いことは何もない。(悪い方向に行くのはダメだが)
善悪を自分でしっかり考える。それが出来ていないから、「空気を読む」という意味を悪用するのではないか。
最近の若者は賢い。情報社会になり、多くの言葉が乱用されている。それはある意味しょうがないことだが、同時にその言葉をよく理解していないことも多々ある。
情報処理が早くても、情報内容に疎ければ何の意味もないのではないのか。