22(に~に)のブログ

日常を書きたい。書くことはない。思ったことを徒然と書いていきます。

日本人の課題。 「優しい」 と 「空気を読む」 とは。

 自転車で20~30分くらいのところにある本屋に行って、色んな本を立ち読みしてきたよ。

 

 その中の一冊に、「空気をよむこと」について書かれた本があった。

流行ったね、KY。(KY=空気読めない)

 

 で、日本には空気を読む文化がある。相手の気持ちを汲み取ろうとすることだね。

それ自体は何も問題ないんだけど、最近は何か別物のように扱われている気がしてならない。

 「空気を読む」って、その場にいる人たちにプラスになる時だけじゃないだろうか?

 例えば、クラス皆でAくんをいじめている。その中で、Bさんがいじめに加わらなかったら、BさんはKYになる。でもこれは、間違った使い方だろう?

 

 

 さて、これらを踏まえて本題。

 

     「優しい」とはなんだろう?

  「空気を読める」ことが「優しい」だろうか?

 

 違うね。上の例のように、Bさんは決してKYではない。

それと、「優しい」には色んな定義がある。その中でも、ここでは「優しい」と「空気を読む」ことについて考えていきたいと思う。

 

 日本人は、空気を読みすぎている。周りに合わせ、主張せず、一人で前へ出ない。

今の教育や就活など、この「空気を読む」ことは日本の文化に浸透してしまっている。

 空気を読むとは、「適度な距離を保つ」ということだ。

だが、今の日本は必要以上に距離を取っている。つまり、一歩前に出ない=関わらないこと、が正しい世の中になっている。

 

 

 これからの若者は特に、優しいことは良いことだが、決して空気を読まないでもらいたい。周りと同じで面白いことは何もない。(悪い方向に行くのはダメだが)

 善悪を自分でしっかり考える。それが出来ていないから、「空気を読む」という意味を悪用するのではないか。

 

 最近の若者は賢い。情報社会になり、多くの言葉が乱用されている。それはある意味しょうがないことだが、同時にその言葉をよく理解していないことも多々ある。

 

 情報処理が早くても、情報内容に疎ければ何の意味もないのではないのか。