「理解」・「分かる」と「忘却」・「覚える」について。言葉の認識。
22(に~に)です。今日は「分かる」「覚える」について、考えてみよう。
「はい!分かりました!」って言葉は、よく使うと思う。
誰かに何かを頼まれたり、何かを教えられたり、お客様の要望を聞いたり・・・
色んなシチュエーションが考えられるけど、皆はあまり意識していないと思う。
で、分かる・理解するというのは、つまり、相手の情報に ”その場で納得した” ということである。
僕が言いたいのはね、その場ってのはどこまで続くのかって話。
つまり、「分かった」と言ったら、今後「覚えました」「忘れません」っていうことと同意義なのだろうか、ということ。
22(に~に)は理解力と記憶力が無いからさ、その場では納得できても、次の日には忘れちゃうんだよね。(ノ∀`)タハー
だから、その日に「分かりました!」って言うじゃん?次の日に「昨日分かったって言ったじゃん!」って怒られるんだよね(笑) いや笑い事じゃねえよ!
ま、そういうことがあったから、今回の記事にしてるんだけど。
でもさ、22(に~に)が思うのは、「分かる」・「理解する」っていうのと、「覚える」・「身に付ける」っていうのとは、根本的に違うんじゃないか、と思うんだよね。
さっきも言ったけど、僕は、「分かる」ってのは、「その場で納得する」っていう認識なんだよね。そこに、「覚える」っていうプロセスは含まれていない。
まあ、22(に~に)が覚えればいいだけ!って思う人もいると思う。それで話は終わりだろ?って思う人もいるかもしれない。
これはつまり、「分かる」と「覚える」は同じだ!って言ってるんだよね?
それじゃあ、今度は視点を変えて考えてみようと思う。
そもそも、「分かる」ってのは、分かろうとしなければ分からないよね?
理解しようとしなければ、理解できない。 ・・・分かるかな?
読書だって、文字を追っかけるだけでは、ストーリーは分からないでしょ?そんな感じ。
次に、「覚える」ってのも、覚えようとしないと、覚えられない。
ここまでの点では、「分かる」ってのと、同じプロセスだ。
だけど、「覚える」ってのは、「分かる」っていう次のプロセスだろう?
順番的には、『 分かろうとする→「分かる」→覚えようとする⇛「覚える」 』
って感じだよね?
何が言いたいかっていうと、「分かりました!」っていう段階では、「その場で納得した」だけであって、「明日になっても忘れません!」って意味ではない、ってこと。
ここまで書いて、「結局、最初から「覚えよう」とすれば解決だね!☆」とか思っちゃったよ。どうすんの、コレ。
まあともかく、「分かる」ってのと、「覚える」ってのは違うんだよ、ってことが言いたいんだよ。言葉遊びみたいな感じで、へ理屈っぽい感じだけど、日本人だしさ?母国語だしさ?日本語のことぐらい考えないと・・・ねぇ?
でも、なんか、こういった些細なことが理解出来てる人ってなかなかいないんだよね。多くの人が全部一緒にしちゃって、気持ち悪いんだよね。感覚的に。
些細なことなんだけど、意味合いが変わってくるからなぁ・・・
今日はこういうことを考えました。(小並感) はい、終わりっ!
グローバル化する日本・・・日本語の勉強よりも英語の勉強が勧められる時代・・・
遠い将来に日本語は存在するのだろうか・・・。(#・∀・)