22(に~に)のブログ

日常を書きたい。書くことはない。思ったことを徒然と書いていきます。

心機一転。

投稿時間が空いてしまい、ほとんど読者がいなくなった感じがして寂しいです。

お久しぶりです。22(に~に)です。

 

 この時期忙しいよね?ね?PCは立ち上げるんだけど、記事を書く気力が残ってないんだよねー。記事書くのもエネルギー使うし。

 どうか見捨てないで(ノ∀`)タハー

 

さて、本題。

 新しいことを始める時、自分では素晴らしいって思ってても、周りの人の評価が芳しくないってことは、多々あると思う。

 言いたいことは、周りの評価ばっかり気にしないで!ってことなんだけどさ。

 

 新しいことに反対する人って、けっこう多い。

 だけど、それは「新しいこと」に対する情報が少ないだけであって、「新しいこと」自体が悪いわけではない。

 

 ようするに、新しいアイデアは、すでに素晴らしいってこと。

もちろん、内容は吟味すべきだろうけど、古い伝統にメスをいれることは決して悪いことではない。むしろ、どんどんメスを入れるべきだと思う。

 

 新しいアイデアに反対するのは、古いアイデアに慣れ親しんだ人たちだろう。そういう人たちは、おそらく、住み心地の良い環境を手放したくないだけではないのか。

 断言は出来ないけど、僕にはそう見える。

 

 新しいアイデアによって切り開かれる未来を、想像していないのだろう。もしくは、メスによって身体をズタズタにされる未来しか考えていないのだろう。

 がん細胞を切除するとき、まずは身体を切り開かねばならない。そうせねば、がん細胞を”切除”することなど、出来やしない。身体を切り開くメスを怖がっていては、がん細胞をそのまま体内で育ててしまうことになる。

 

 

 ときに、斬新は残酷でもある。革命は、それまでの悪を退治する代わりに、それまでの土地をも、焼け野原にしてしまう。使いどきを誤るべきではない、というのが、反対派の多くの意見だろう。

 

 だが、ここで私が言いたいことは、2つある。

 1つは、身体を切り裂いてでも、ガン細胞を取り除かねばならないということ。

 1つは、身体を切り裂くメリットを、反対派はしっかりと理解しようとすること。

である。

 

 身体に悪性のがん細胞があれば、取り除かないといけない。それで構わないと言うなら別だが、そうしないと日々の健康が蝕まれることになる。それはつまり、今後の日々の健康を取るか、明日生きるための皮膚を取るか、ということだ。

 難しいかな?がん細胞を放っておいて、晩年ずっと病床で寝ているのと、お腹を切り開いて、完治するまでの約1ヶ月の病院生活をするのと、どちらを取るのかってこと。

 

 そして、身体を切り裂く意味を、反対派は理解せねばならない。なぜ、身体を切り開くのか。なぜ、がん細胞を取り除くのか。まずはそこを理解しないといけない。

 反対派の人たちは、昔からの伝統や規則によって、新しいアイデアを封じ込める癖があるが、どちらの方がメリットがあるのか、よく考えるべきだ。(今回はがん細胞を例にとってみたけど、もちろん、その場その場での対応は違うだろうし、伝統と最新の双方向を熟慮した上での判断なら、反論はない。)

 

 結局のところ、自分の頭でしっかりと考えるってことと、今の安定だけを求めてたらいけないよってこと。

 やっぱもう世代交代の時期なんだよなぁ・・・