メディアと社会と教育と。
さて、アイデアが頭の中を駆け巡っておる。
あ、22(に~に)の中では、情報=アイデア なのです( ・`д・´)
では、真面目な本題に入りましょう。
ぼくは就活が嫌いってことは言ったと思う。
就職活動を省略して「就活」って言うのは、ぼくは大嫌いだ。
だって真面目にやってんだよ!彼らは!
時代に乗ってるつもりか分からないけどさ、そうやって勝手に目標を設定するのはやめてほしい。言葉遊びしてるわけじゃないんだから。
何が嫌かって、就職活動をすることを目標にしたんだよ。メディアは。
まあ、まだ短くして呼びやすくしたのはいいさ。就職活動って打つより、就活って打つ方が楽だしさ。
だけど、就活することが大事!みたいに言ってさ、なぜ就職活動するのかってことに全く重点を置いてない。そこが嫌なんだよ。
だってさ、「大学4年生(実質3年生)になったら、とりあえず就活するか~」って感じなんだよ、今は。
とりあえずってなんだよ!
僕はそもそも考えるんだよ。大学でやってる勉強が、会社に入って全く活かされてないと思うんだ。そして、就活の際にも大学でやった勉強のことを聞かれない。(もちろん薬学部とかさ、ちゃんと活かされてる分野もある。それでも極稀。)
あのさ、やっぱり就活おかしいよ。というか、日本社会がおかしいよ。
なんで大学で学んだことを活かせないのか。企業は活かそうとしないのか。
頭が悪い。切実に。
教育にも当てはまるけどさ、「とりあえず勉強しなさい」って感じじゃん。
「とりあえず勉強しなさい」じゃなくてさ、「なぜ勉強しなきゃいけないのか」ってところから考えないと。根本から考えないと。
だから路頭に迷う人間が増えるんじゃないのか?
今までがむしゃらにやってきて、ふと気づいたら「なんで俺はこんなことしてるんだろう?」って思うんじゃないの?だから日本に情熱が無くなってるんじゃないのか?
でね、就活の話に戻るけど。
なんで就職するのかって話だよ。なんで仕事をするのかって話だよ。精神論でも言ったけど、ただ「これをやれ」ってだけじゃダメなんだよ。
「なぜそれをするのか」ってとこが分かってないと、やる気が起きないんだよ。「とりあえずやれ」じゃダメなんだよ。
社会も企業もそこを理解しなきゃ。伝統だからとか、昔からだとか、そんなのは言い訳だし、古い。
就活の面接で社訓とか聞かれるけどさ、そんなのはどーでもいいんだよ。大事なのは入社して何をするかだろう?何を生み出すかだろう?いちいち古い言葉に縛られなくていいじゃないか。
新しい、一種の革命を受け入れなきゃ。じゃないとこれからの躍進は難しいよ。
今でさえ、どこの企業も底辺をズルズル這いつくばってるのに、革命を受け入れなきゃ、なんにも変わらないよ?だって、今まで通りの結果が、今の現状なんだから。
皆と同じが面白いって言うんなら、今後の成長は見込めない。それは、個人にも組織にも当てはまる。
革命を起こそうとすることはない。だけど、革命を受け入れる寛大さがなければ、絶対に成長できない。ぼくは、そう思うよ。
日本人の課題。 「優しい」 と 「空気を読む」 とは。
自転車で20~30分くらいのところにある本屋に行って、色んな本を立ち読みしてきたよ。
その中の一冊に、「空気をよむこと」について書かれた本があった。
流行ったね、KY。(KY=空気読めない)
で、日本には空気を読む文化がある。相手の気持ちを汲み取ろうとすることだね。
それ自体は何も問題ないんだけど、最近は何か別物のように扱われている気がしてならない。
「空気を読む」って、その場にいる人たちにプラスになる時だけじゃないだろうか?
例えば、クラス皆でAくんをいじめている。その中で、Bさんがいじめに加わらなかったら、BさんはKYになる。でもこれは、間違った使い方だろう?
さて、これらを踏まえて本題。
「優しい」とはなんだろう?
「空気を読める」ことが「優しい」だろうか?
違うね。上の例のように、Bさんは決してKYではない。
それと、「優しい」には色んな定義がある。その中でも、ここでは「優しい」と「空気を読む」ことについて考えていきたいと思う。
日本人は、空気を読みすぎている。周りに合わせ、主張せず、一人で前へ出ない。
今の教育や就活など、この「空気を読む」ことは日本の文化に浸透してしまっている。
空気を読むとは、「適度な距離を保つ」ということだ。
だが、今の日本は必要以上に距離を取っている。つまり、一歩前に出ない=関わらないこと、が正しい世の中になっている。
これからの若者は特に、優しいことは良いことだが、決して空気を読まないでもらいたい。周りと同じで面白いことは何もない。(悪い方向に行くのはダメだが)
善悪を自分でしっかり考える。それが出来ていないから、「空気を読む」という意味を悪用するのではないか。
最近の若者は賢い。情報社会になり、多くの言葉が乱用されている。それはある意味しょうがないことだが、同時にその言葉をよく理解していないことも多々ある。
情報処理が早くても、情報内容に疎ければ何の意味もないのではないのか。
本の読み方 2
自宅から自転車で20~30分程度の本屋に行ってきました。
別に、本屋にこだわりは無いんだけど、立ち読みできる雰囲気がないと入りづらい(笑)
暇なら大体2時間くらい立ちっぱなしなんだけど、店からしたら確実に邪魔だよね(笑)
さて、そんなわけで色々な本を見てきたよ。前回書いたように(本の読み方)、22(に~に)は本を読むのが好きなんだ。だけど、全部読むのはよっぽど暇じゃないとしんどいよね。
で、これは僕の持論なんだけど、本は全部読み切るんじゃなくて、興味のあるところだけ読んで、数多く読んだ方がいいと思ってる。
そりゃあ、全部読み切る方が正しいと思うよ?だけど、興味の無いものを読んだって何も創造できないじゃん。ビビッっと頭にこないじゃん。
スポーツでもそうだけど、やる気の無い練習ほど意味のないものはない。これは、精神論にもつながってくるんだけど。
読書だって、ブログだって、興味のないものを読もうとは思わないでしょ?それと同じ。仮に文章を見たとしても、文字を目で追ってるだけであって、「読書」とは言えない。
だったら、最後まで読み切ろうとせずに、自分にとって有益な部分だけを見たほうが、自分にとってプラスになると思う。
だから、僕は本屋で2時間立ちっぱなしなんだけど、10分くらいで読む本を変えてる。そのほうが楽だし、色んな人の考え方が読めるからね。
とは言っても、やっぱり最後まで読むことも大切かな。
矛盾してるようだけど、そうじゃなくて。
あくまでも、興味がある本については、最後まで読み切った方がいいと思う。
だけど、時間がない時や本屋での立ち読みとか、何か自分にプラスにしたいと思うときは、こういう読み方もあるよってだけで。
最後までモチベーションを高めて読み切ることって、なかなか難しいから。
そんなこんなで、言ってることはあんまり変わってないかな(笑)
今日は色んな本を読んだから、いろいろ記事にしようかなー。
指導者が知るべき「精神論」について。
22(に~に)です。今日は飲んでるよ。
まあ、ほろ酔い程度だけどね。
さて。今日は精神論について。
精神論って、スポ根モノでよく聞くよね。「そんなもの気合だ!」とか。
でもね、僕はそんなものが精神論だとは思ってない。むしろ、「気合でなんとかなる」っていう考え方は、22(に~に)は否定するよ。
ぼくの思う精神論ってのは、自分の中から沸き上がってくる感情のこと だと思うんだ。決して、他人から言われるものでは無いと思う。
そーだなー、やる気みたいなもんかな。
やる気って、自分が「アレやりたい!」ってときに生じるでしょ?お母さんから「勉強しなさい!」って言われても、やる気なんて起きないよね。
ここまで言って、僕の言う精神論と、皆の思う精神論って違うものだと思う。
そこで、指導者が知るべき精神論ってのは、まさに僕が言っている「精神論」のことなんだ。
自分の中から沸き起こる感情ってのは、自分でしか生み出せない。
しかも、自分でやる気を沸き起こすことも難しい。
だからこそ、指導者たる者はそのことを知らねばならない。
皆の思う精神論って、おそらく、他人の口からしか聞いたことがないんじゃないかい?自分から口に出すことって、ほとんど無いと思うんだけど、どうだろう?
でね、きっと皆はこれから先、人に何かを教えることが数多くあると思う。
その時に、「気合でやれ!」とか、「なんでそんなことも出来ないんだ!」とか言わないでほしいんだ。
(そりゃ、もちろん、あまりにも仕事が酷かったり何度言っても分からないなら、怒鳴ることもしょうがないと思う。優しいだけじゃ、仕事は出来ないからね。個人的に、だけど。)
本当に教えるのが上手な人って、基本的に褒めて伸ばす人が多い。
だって、褒められる方が嬉しいもんね。
これってつまり、相手のやる気を引き出させているんだ。だからこそ、教えられた人は急成長するし、教える人は上手な指導者って呼ばれるんだよね。
上手な指導者は、やる気を引き出させるのが上手い。
このことが分からない人って結構いる。特に、仕事が出来る人や賢い人。理由は分かるよね。
でもね、22(に~に)は思うんだ。
「本当に、その人たちは賢いんだろうか?」って。
どんなに仕事が出来ても、どんなに情報処理が早くても、人の気持ちを理解できない人って賢いんだろうか、と。
「そんなこと言ってたら、仕事なんて出来ねえだろうが!」って言われることは分かってる。だけど、少なくとも、そんな人に指導する立場に立ってもらいたくない。人にモノを教える立場に立ってもらいたくない。
頭が良くても、仕事ができても、指導者としてはダメダメだ。
精神って、自分の内側のものだろう?決して、他人から言われるものじゃない。
だからこそ、自分の内側をコントロールする力っていうものが必要になってくる。
そして、自分の内側をきちんと理解してコントロールできた人のことを、「大人」って呼ぶんじゃないかな。22(に~に)は、そう呼ぶよ。
こんな「大人」になるってこと全てを、『精神論』って言うんじゃないかな。
頭が良いだけの大人になるなら、精神論を理解した子どもでありたい。
by22(に~に)
酔っちゃったから、お説教みたいになっちゃった。
いっつもこんな感じ?(笑) (後で屋上な)
なんか、最初にイメージしてた内容と違う。。
ま、いっか。いずれ書けばいいや( ゚∀゚ )
じゃ、またね。おやすみー!
「プロフェッショナル-仕事の流儀- 寿司職人 二郎」 を見て
あ、タイトルは適当です。テレビで放映されたのもけっこう前です。最近YouTubeで見ました。
この番組では、ミシュラン3つ星を獲得した背景にある、当時80歳の二郎さんの仕事と哲学を、プロフェッショナルが追ってみた、って感じです。
ついでに、プロフェッショナルは他にも多くの職業人を追っているので、興味のある分野を見てみたら今までの自分の価値観が変化した気持ちになりますよ。
で、まあミシュランを獲得するだけあって番組見てるだけでもひしひしと感じる部分がありました。
特に気になったところは、二郎さんの店は寿司屋なのに酢の匂いも魚の臭いもしないんだって!(゜o゜;
掃除を徹底して、「汚れたら洗う。時間が経てば洗わなければならない。一日経てば磨かなければならない。」って感じのことを言ってました。(詳しく覚えてない。すまぬ。)
この言葉を聞いてね、22(に~に)は思ったわけですよ。「しまった。台所に昨日の洗い物を放置したまんまだ・・!!」と。その動画を途中で止めてキレイにしてから動画を再開しました。うん。22(に~に)エライ。
それからというもの、洗い物はなるべく早く洗うようにしました。そのせいか心なしか、気持ちいいんですよね。台所がキレイだから、スッキリした感じなんですよ。「汚れてすぐ洗うとか当たり前」とか言わない。「掃除してスッキリするとか当たり前」とか言わない。
他にも色々感じたことはあるんだけど、今回はここまで。また何か見たら記事にするね。
22(に~に)はこういう、仕事の哲学とか、格言・名言みたいなやつ大好きなんで(笑)、「これ面白かったよー!」とかあったら教えて下さい!
ほいじゃ、またね。
企画側(身内)だけが盛り上がることって、けっこうあるよね。
高校とかの出し物とかあるじゃないですか。
ああいうのって微笑ましいけど、参加者(父兄)には「コイツらは何がしたいんだろう?」って感じのものが一つくらいあるよね。
まあ、高校ってのはあくまでも一つの例なんだけど、分かりやすいかなと思って。
つーわけで、目次。
1,企画側が、自分たちだけで楽しんでることってあるよね。(例:高校)
2,でも、第三者から見たらそういうのは面白くないよね。(例:大学)
3,周りと今後に与える影響も、よく考えないといけないよね。(例:Twitter事件)
4,おまけ。~バカッター騒動ってのもあったよね。~
1,企画側が、自分たちだけで楽しんでることってあるよね。
学生時代にした企画とか取り組みとかってさ、企画・運営側だけが盛り上がっちゃって、参加者とかは満足できない時って、けっこうあるよね。まあ、今では大人の中にもそういう人種がいますけどね
高校の体育祭が分かりやすいか。
「僕たちは、この体育祭のために、夏休みから頑張って練習してきました!」
とかさ、練習してきた割には動きがバラバラみたいな。
いやいや、もちろん学生たちはプロじゃないし、「自分たちが良ければええんや!」って言うのも分かってますよ?最初にも書いたけど、あくまで、たとえ話としてイメージしやすいかな、と思って。「学生が楽しめればええやないかい!お前何言っとんのや、ドアホゥ!」とか言うのヤメテ!
つまり、高校とかの体育祭とかは、「人に見せるため」というよりは「自分たちで盛り上がるため」だよね、基本的に。盛り上がって元気ですよってところを、父兄の方々に見てもらおうって感じだよね。
2,でも、第三者から見たらそういうのは面白くないよね。
学生時代ならともかく、社会っていう多くの人間がいる中で、身内だけで盛り上がるのはあまり感心できることでは無いと思う。
社会に対して何かを行動するとき、「自分のため」では通用しないことが多い。
これは、分かりやすい例が一つある。大学生のノリだ。
いや、まあこれも大学生に限った話ではないんだけど。
あのノリって、その集団の中にいるとすごく楽しいんだよね。何やっても面白い。ところが、立場が変わって、外から別の集団のノリを見ると、「うわ、あいつら何やってんの?(ドン引き) てかうるせー。」に変わる。
これって自分たちが楽しいからいいやって感じだろうね。(本人たちは楽しいって感情だけで、周りのことすら気にしてないだろうけど)
これこそ究極の身内ネタだよね。自分の集団が楽しいからいいやっていうの。(大体は、周りの人間はうるさい!やめてくれ!って思ってるんだよね。)
3,周りと今後に与える影響も、よく考えないといけないよね。
で、話を戻そう。毎回論点がズレる癖、直せないかな
社会で生きる、もしくは社会で行動を起こすには、生産性がないといけない。(生産性についてはいずれ記事にします。多分。)
つまり、社会に対して企画・行動する際には、皆がハッピーになれないといけない。
なぜかって?自分たちが楽しいからしょうがないじゃないか?
じゃあ、極端な例だけど、僕が今から君にボールをぶつける。いいね?
なぜかって?僕が楽しいからいいじゃないか。
・・・仮にこういう状況があったとしよう。この状況で僕と君のあいだに殺意と憎悪が生まれても、決して生産性があるわけじゃない、ということが分かるかな?(殺意と憎悪の生産性が高まるね! バカヤロゥ!)
ここには、なにもプラスになる要素がないんだ。暗殺の道具は増えるかもだけど。
つまり、僕が言いたいことは、社会に出て企画を考える、もしくは行動に移すときには、しっかり相手(対象者)のことを考えないといけない、ということ。
それは、対象者(ターゲット)は誰なのか、対象者の周辺の環境はどうか、ということも含めて考えないといけない。
そして、しっかりと良い結果・いい影響を関与者全員に与えなければならない。
そのためには、対象者に与える効果を考え、周辺の関与者にどういった影響を与えるのか、ということまで考えないといけない。
順番を書こう。
①企画を考える → 面白いことを言って皆を笑わせよう。
②どんな行動をするか考える → 身振りを交えたら理解しやすいな。
③対象者を考える → 同じクラスのあいつに話そう。
④対象者の周りの環境を考える → 帰りの電車で話そう。いつも混んでるけど。
⑤対象者に対してどんな効果を与えるか考える → 爆笑だろうな。
⑥その効果によって周辺にどんな影響を与えるか考える → 笑うくらいいいだろ。
⑦自分に返ってくる影響を考える → 俺の株は上がるな。
まあ、基本的に「何しようか。→あれしよう!」みたいな感じだよね。行動するときって。いちいちこんな事考えない。だけど、実は人間の脳はこれらの情報処理が行われている。喋ってる本人が気付いていないだけで。
で、④と⑥は考えないことが多いんだよね。最近の若者は特に。しかも、⑥にあるけど、仮に考えていても自分本位の思考に陥ってる。「別にいいでしょ、楽しいんだから。」みたいな感じ。
だけど、大切なのは④と⑥であって、人(周辺の関与者)のことを考えることが何よりも大事なんだよね。見たら分かるだろうけど、実は④と⑥以外は自分のことなんだよね。自分が誰に話すか、とか自分の株はどうなる、とか。
4,おまけ。~バカッター騒動ってのもあったよね。~
そういえば、まさしく④と⑥を考えていない事件があったね~。
Twitterでのツイート事件で、コンビニの冷凍庫の中に入ったり、飲食店アルバイトが食品を口の中に入れたりした画像が、携帯アプリのTwitterに載せられていたことがあった。
これらは結局、「自分が楽しければいい」という気持ちと、「自分の行動が周りに与える影響」を、考えなかったのではないかと思う。
まあ、このバカッター騒動は単なるバカと言うほかないんですけど。
マスコミでこういった事件は大きく取り上げられ、大人たちの若者への評価も下がっている。だが一言、若者世代の俺に言わせてくれ。
若者向けと称して全く面白くない企画を立ち上げている大人たちも、人のことは言えないんじゃないか?
若者のニーズを考えない大人の在り方は、「自分たちの時代はこうだった。」と押し付けるだけで、これからを担う若者のことを何一つ考えていないように思われる。
現代社会において一番改善されるべき課題なのかもしれない。
まとめ: 影響って怖いよ。自分の思ってる3倍は怖いからね。
オフ会したいな!(願望)
なんか暇なんですよねー。最近。
いや、やることはあるんだけど、やりたいことがあんまりない・・・。
色んな人と交流したいなーとか思ってるけど、人を集められそうにないし・・
オフ会とかしたいんだけど、「何のオフ会?」みたいな感じだしなー。
皆どうやって行ってるんだろ・・・?